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いばらきの郷土民俗芸能アーカイブス

郷土民俗芸能とは

各地域で、住民の信仰や風俗・習慣と結び付きながら伝承してきた、郷土色ゆたかな芸能のことです。

いばらきの郷土民俗芸能アーカイブスとは

茨城県内で伝承してきた郷土民俗芸能のうち、国・県及び市町村指定等の無形民俗文化財の映像を収集し、YouTubeの茨城県文化課公式チャンネルで公開しています。

YouTubeの茨城県文化課公式チャンネル

茨城県指定無形民俗文化財「潮来ばやし」

文化財の概要

潮来ばやしは、古くは天安年間(857~859)の田楽や神楽ばやしに源を発し、小集落の氏神様のお祭りに神前奏楽の意味から娯楽集会を兼ねて行われたはやしでした。その後元禄年間(1688~1704)徳川光圀公の命によって、五丁目の天王山に素鵞熊野神社が遷宮され、その例祭の神輿の行列に山車が供奉されるようになったときに、10数台の山車に分乗した芸座連(げざれん)により演奏されたもので、水郷地方にふさわしい郷土色豊かなしかも古典的な祭りばやしとして今日に伝えられてきています。
毎年8月の第1金曜日から日曜日の3日間は神社鎮守祭礼「祇園祭」で、各地区各々に飾りたてた山車に、大太鼓、小太鼓、大鼓、小鼓、鉦、笛の芸座連10~15人が乗り各所をひき廻し、潮来ばやしを奏します。曲目はさんぎり、馬鹿ばやし、花三番、いそべ、矢車、松飾など、一種の哀調を含んだ曲の流れで、古来から伝わるはやし方で演奏されます。
この祭りに花を添えるのは、三丁目の獅子舞をはじめ、総数十四台もの山車、そしてこの山車にのった芸座連によって奏でられる潮来ばやしです。圧巻は「のの字廻し」や「そろばん曳き」に代表される「曲曳き」で、若連と山車、芸座連が一体となった様は必見です。

茨城県指定無形民俗文化財「大津の盆船流し」

文化財の概要

大津の盆船流しは、8月の月遅れ盆の16日の早朝、新盆を迎えた家で麦藁や木で作った盆船を海に流す盆行事です。船体の中央部には一斗缶などを利用して機関室を作り、船底には砂を敷き、煙突などが作られます。船尾には舵や櫓を取付け、竹や木で作った帆柱にその家の船名や故人の戒名などが書かれた白帆が張られます。機関室には線香が焚かれ、船上には供物や生花が置かれます。舳先部と舵部には藁や西瓜、茄子などで作られた船頭が乗せられます。出来上がった盆船は大津港の波止場に集められ、合同の法要が行われます。
式が終わると「じゃんがら念仏踊り」という天台宗の念仏踊りが披露されます。その後、盆船は小型船により漁港内から沖へ曳航(えいこう)されます。
近年は海を汚さないようにするため盆船はすべて回収が行われるようになっています。

茨城県指定無形民俗文化財「塚崎の獅子舞」

文化財の概要

塚崎(つかざき)の獅子舞は、毎年4月・7月・11月の15日に塚崎の香取神社で行われる祭礼で、五穀豊穣、天下泰平を祈願する行事です。地元では「オシシサマ」と呼ばれています。
獅子舞は、「男獅子(おおじし)」「中獅子(なかじし)」「女獅子(めじし)」の三頭(みがしら)が登場します。それぞれ木綿の単衣に袴を着け、わらじを履いて、小太鼓を付け、篠笛に合わせて舞います。舞には、「せきもんどり」「はねこみ」「うずめ」など9種類あり、特に「天水(てんすい)こぼし」は雨乞いの舞いとして有名です。享保2(1717)年、関宿藩主久世大和守に雨乞いの舞を奉納したことで、その褒賞として、関宿藩主の井桁に「本」の紋章があしらわれた風がけと朱塗りの樽一対が贈られたと伝えられています。

茨城県指定無形民俗文化財「小栗内外大神宮太々神楽」

文化財の概要

寛延4年(1751)山城国愛宕郡三嶋神宮宮司らにより内外大神宮宮司に伝授されました。その後、伊勢神楽師の指導を受け、小栗三喜が舞に工夫を凝らすなどして12神楽36座を成立させたといわれています。12神楽とは12の場面のことで、36座とはこの12の場面に登場する36柱の神々のことであり、番外に八岐大蛇退治(やまたのおろちたいじ)の無言劇があります。
勇壮な舞と融和的な舞とで構成され、内容は神々の功績をたたえ、平穏な自然と作物の豊穣を祈り、悪を払い幸福を祈願する神楽です。
毎年、春4月21日、秋11月10日(ともに直前の日曜日)の神社の例大祭に境内の神楽殿において神楽舞が奉納されます。

茨城県指定無形民俗文化財「大塚戸の綱火」

文化財の概要

綱火は、操り人形と仕掛花火を融合させた民俗芸能であり、空中に張り巡らせた綱により花火の付いた人形(木偶)を操作して、芝居を演じる。常総市大塚戸町では、町内にある一言主神社の例大祭で毎年奉納され、境内において3つの演目が披露されている。
大塚戸の綱火は、一言主神社が大和国葛城山から遷宮されていることに因み「葛城流」を称しているが、その由来を示す確たる資料は見出されていない。一説には江戸初期の万治2年(1659)、村内の向山坪に三峯神社が開基されるにあたり、花火が奉納されたことをその始まりとする。
綱火は『三番叟』『万灯』『当日の芸題』の三部構成で演じられ、「トーザイー、トーザイー」と始まる口上により、一言主神社と三峯神社への奉納興行であることと、大塚戸芸能保存会により演じられることが境内を埋め尽くす観客に向け告げられる。当日の芸題は文久4年(1864)の『御祭礼目録のづ』から選ばれるが、一言主神社に保管される『糸繰年代記』には文化元年(1804)から明治35年(1902)までの上演記録が残されている。
このように永く伝承されてきた民俗芸能ではあるが、昭和22年(1947)の興行からしばらくの間中断していた。これを復活させたのが昭和44年(1969)に結成された大塚戸芸能保存会であり、この年より現在まで一言主神社秋季例大祭(毎年9月13日)において奉納興行されている。

茨城県指定無形民俗文化財「浅川のささら」

文化財の概要

浅川のささらは、大子町大字浅川の熊野神社に伝わる獅子舞である。伝承によれば、元禄年間に西金砂神社で田楽祭が行われ、その際に浅川の氏子も自製の獅子舞を持って参加した。当時、領内の郷土芸能に深い関心を持っていた水戸藩第二代藩主徳川光圀(義公)は、折からこの祭事を鑑賞しておリ、浅川の獅子も御前で演じたところ、その舞が妙技を極めたので、義公は大いに喜ばれ、その褒美に秘蔵の獅子頭3頭を与えた。
また、古来からその近郷にその名が高く、浅川上の熊野神社、下の真弓神社、また縁故のある近津神社の出社祭典の神事に、神輿の露払いとして出場するほか、20年ごとの熊野神社正遷宮祭典に際して奉納獅子舞を演じる習わしになっている。
演技者は、舞手3名(太郎獅子、女獅子、次郎獅子)と囃子方の笛吹4名からなる。演技者の7名は浅川区内に居住する青年で、永住性のある嫡男の中から身体健康、品行方正な青年を選んで決定する。新旧の交代時期は20年ごとの熊野神社の正遷宮祭の時期となるので、その間は技能の保持、伝承に努めなければならない。
これらの伝統的行事を後世に伝えていくために、熊野神社及び真弓神社の氏子で組織る「浅川ささら保存会」が結成されている。

ユネスコ無形文化遺産・国指定重要無形民俗文化財「日立風流物」

文化財の概要
起源

日立風流物は、元禄8年(1695)水戸藩2代藩主徳川光圀の命により、神峰神社が宮田・助川・会瀬の3村の鎮守になったとき、宮田村の氏子たちが、無病息災・五穀豊穣など日々の豊かな暮らしを祈願して、山車を造り、祭礼に奉納したのがはじまりです。
これに人形芝居を組み合わせるようになったのは、享保年間(1716~1736)からといわれています。風流物の特長には壮大な山車とともにからくりがありますが、風流物が起こった江戸中期は人形浄瑠璃が一世を風靡した時代であり、その影響を受けた村人たちが農作業のかたわら工夫を重ねて人形作りの技術を自分たちのものにしていったと考えられています。
日立風流物は、日立市宮田町の4つの地区(東町、北町、本町、西町)に、それぞれ1台ずつの計4台が継承され、村人たちの大きな娯楽にもなりました。
この4町が出来栄えを競い合い、明治中期から大正初期にかけて改良を重ね、現在見られる5層まで進化し大型化しました。

戦災・復興

昭和となってからの日立風流物の公開は、太平洋戦争へと向かう世相を受け、昭和11年(1936)以降中断しており、昭和20年(1945)年7月には、米軍の焼夷弾攻撃により山車4台の内2台が焼失、1台が半焼という被害に遭い、人形の首(かしら)も約7割を焼失しました。
昭和29年(1954)には宮田風流物保存会(現在の日立郷土芸能保存会)が結成されて復興の機運が高まり、昭和32年(1957)6月には茨城県無形文化財の指定を受け、昭和33年(1958)5月にはようやく1台の復元を果たし、21年ぶりに公開することができました。

発展

昭和34年(1959)5月、北町の山車が国の重要有形民俗資料(のちの重要有形民俗文化財)に指定(山車や屋台の類としては全国初)されました。山車や屋形の組立てから製作、屋形の展開操作、からくり人形の製作操作、山車の運行、鳴物演奏などのすべてが、神峰神社の氏子(現在は日立郷土芸能保存会会員)たちの手によって行われ、地域の人々の郷土への祈りと愛情が花開くところに民俗文化財としての価値が見出され高く評価されました。
昭和41年(1966)5月までに4台すべてが復元されました。昭和49年(1974)10月には、国民体育大会の際に行幸啓された天皇皇后両陛下が日立風流物の公開を御覧になりました。そして、昭和52年(1977)に国の重要無形民俗文化財に指定されました。
近年では、平成21年(2009)に「日立風流物」は「京都紙園祭の山鉾行事」と共にユネスコ無形文化遺産に登録され、平成28年(2016)には国指定重要無形民俗文化財である他の類似した31行事を含め、計33件の行事が「山・鉾・屋台行事」として拡張登録され、日本を代表する民俗文化財として位置付けられました。

大きさ

現在の日立風流物は、高さ15m、幅3~8m、奥行7m、重量5tの全国有数の大型の山車です。上部に5層の唐破風造りの屋形があり、各層が中央から両側に開き舞台となる構造になっています。

公開

毎年4月上旬に開催される「日立さくらまつり」に、4町の廻り番で1台を公開するのが恒例であり、7年に1度は、神峰神社大祭礼に併せて、4町の山車全てを公開しています。

茨城県指定無形民俗文化財「利根地固め唄」

文化財の概要

江戸時代初期の利根川東遷に関わる工事以来、利根川の築堤補修工事は、幕府にとって重要な事業で、大名御手伝普請・国役普請として行い、実際の工事には、地元の人々が動員されて行われました。
この築堤工事の中で人々の間に唄われた仕事唄が、その工事の作業動作とともに地域に定着し民俗芸能化したものが、「利根地固め唄」です。
「土羽(どは)打ち唄」、「たこつき唄」、「杭打ち唄」の三種があります。「土羽打ち」は「土端打ち」とも表記し、堤防の法(のり)面を細い丸太で打ち固める作業、「たこつき」は、丸い重ね餅状の石に綱をつけて、これで土を突き固める作業、「杭打ち」は、沈床エ事などで杭を打つ作業です。いずれも作業者の動きを揃える目的で唄われました。
これらの唄には、それまで東京湾に流れていた利根川を東にむけ、銚子へ落ちるようにした江戸時代初期から昭和20年代まで、400年近い歴史があります。利根町はその名のとおり、利根川とはとりわけ深い縁があり、これらの唄が残っていました。
その貴重な作業唄を末永く伝えて行くため、平成元年に結成された「利根地固め唄保存会」により、地元や近隣市町村のイベント等で発表されております。

茨城県指定無形民俗文化財「日立のささら」

文化財の概要

日立市内の7地区(宮田・助川・会瀬・成沢・諏訪・大久保・水木)に伝承される「ささら」はまとめて「日立のささら」とされ、この地域に伝わる最古の民俗芸能といわれています。
このささらは、囃子方の笛の曲目に合わせ獅子3頭(雄獅子、中獅子、雌獅子)が胸に付けた「羯鼓(かっこ)」を打ちながら、その間を「しゃぐま」という女装の児童が(2人~4人)豆太鼓と錫杖をもって演舞することが特徴です。
なお、これらを伝承するのは、各地区から厳選された7才から10才までの「しゃぐま」と10才から15才までの「獅子」で、かつて演舞者だった先輩から次代の後輩へ連綿と受け継がれています。

国指定重要無形民俗文化財「綱火」

文化財の概要

綱火は、操り人形と仕掛け花火を結合し、空中に張り巡らせた綱を用いて、お囃子に合わせて人形を操る民俗芸能です。別名「あやつり人形仕掛花火」、「三本綱からくり花火」とも称し、「高岡流綱火」と「小張松下流綱火」の二流派に伝承されています。これらは昭和51年(1976)に「綱火」として国から重要無形民俗文化財の指定を受けました。

高岡流綱火(あやつり人形仕掛花火)

起こりは、江戸時代初頭とされており、鎮守(愛宕神社)の祭りの際に境内の松の大樹から赤と黒の蜘蛛が舞い降り、その巣を作る様から神のお告げの暗示を得て、村人が創作したと伝えられています。火薬の配合や技術などは秘法とされ、今日まで絶えることなく伝承されています。
毎年8月下旬頃、高岡の愛宕神社に火難と病難除け・家内安全・五穀豊穰を祈願して奉納されます。「繰り込み」という行事で始まり、神社は手製の花火よって燃えさかる炎に包まれます。この行事を中止すると地域に大きな不幸が起こるといわれ、今もなお、高岡流綱火更進団により続けられています。

小張松下流綱火(三本綱からくり花火)

起こりは、戦国時代末に小張城主であり、火縄銃を扱う火薬師でもあった松下石見守重綱公が自ら考案したと云われています。戦勝祝いや犠牲者の供養のために陣中で行ったと伝えられており、自らの姓をとって松下流と名付け、家臣として仕えていた大橋吉左衛門がその助手を担い、火薬の調合などを伝授されたことから、大橋家が家元となり、後の小張松下流綱火保存会に受け継がれてきたとされています。
現在は、毎年8月23日から24日にかけて挙行される小張愛宕神社の祭礼において、23日夕方の「繰り込み」を経て、翌24日に火難除け・五穀豊穣を祈願して綱火が奉納されます。

茨城県指定無形民俗文化財「西丸山祈祷ばやし」

文化財の概要

西丸山祈祷ばやしは、江戸時代初期元和6(1620)年頃に始められたと伝えられている。当時、長雨等による穀物の不作や疫病の流行による健康被害が続き、多くの住民が苦しめられた。そのような中、阿波信仰により無病息災、五穀豊穣を祈願して始められたのが、このお囃子とされている。
大八車に大太鼓、小太鼓、米俵3俵を乗せ、「ばか囃子」や「あんば囃子」などを奏でながら行脚し、集落(ムラ)へ疫病が侵入するのを防ぐ天狗様を模した藁人形を北の境(月読神社の横)に祀った上で、北から順番に各家々を廻り、祈祷と大杉神社の御札を授与していく。併せて、南の境にも藁人形(天狗様)を祀る。更には、東西南北のムラ境に大杉神社から授けられた御札を祀っていく。

お問い合わせ先

茨城県教育庁 総務企画部 文化課 有形・無形文化財担当

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