いばらきの文化財

県指定 有形文化財 絵画

武者肖像画

むしゃしょうぞうが

結城市

当時、流行していた市松模様の敷物の上に直垂(ひたたれ)姿で斜め右に座し、中啓(ちゅうけい)の扇を取り腰刀を差しています。
政朝が父氏広の跡を継いで15代の当主になったのは満2歳の時です。当時の結城家は結城合戦(1440~1441)によって一時断絶した後、再興は許されたものの所領も大きく縮小していました。
また、結城家内部でも重臣の多賀谷和泉守が城代として実権を握り、横暴な振る舞いをしていました。
しかし、明応8年(1499)、政朝は下妻の多賀谷家植(いえたね)とともに和泉守を討ち滅ぼし、ようやく城主の実権を握りました。
以後、君臣関係の秩序を安定させ、所領の回復に努め、結城氏発展の基礎を固めたので「結城中興の祖」といわれています。

  • 結城政朝(1479~1547)像

武者肖像画

1幅
寸法 縦54.8cm、横39.7cm
指定年月日 昭和32年1月25日
所在地 結城市結城461
管理者 孝顕寺
制作時期 桃山時代