いばらきの文化財

県指定 記念物 史跡

本多作左衛門重次墳墓

ほんださくざえもんしげつぐふんぼ

取手市

本多作左衛門重次は「一筆啓上、火の用心、お仙泣かすな馬肥やせ」の手紙で知られる徳川家康の家臣です。
享禄2年(1529)、三河に生まれ、松平清康、広忠、家康に仕え、晩年を下総国相馬郡井野で過ごし文禄5年(1596)68歳で病没しました。
玉垣に囲まれた三つの墓塔が史跡となっています。
中央の高さ1.4m、水輪の直径45cmの大型の五輪塔が重次の墓です。
特に銘はみられませんが、正面には梵字が刻まれているのがわかります。
右側のやや小型の五輪塔は「坂休院、寛永四丁卯九月十二日、体誉一源浄本居士」の銘があり、重次の客人であった岡野彦五郎という人物の墓です。
左にある尖頭型の墓塔には「本多九蔵藤原重玄之墓」という銘があるので、永禄元年(1558)に戦死した重次の弟である重玄の墓であることがわかります。

本多作左衛門重次墳墓

指定年月日 昭和9年8月3日
所在地 取手市台宿2-3167
管理者 本願寺