いばらきの文化財

県指定 記念物 史跡

志筑城阯

しづくじょうし

かすみがうら市

志筑城阯は大字中志筑にあり、三方が深田に囲まれ、南側に自然の掘割を擁した天然の要害です。
鎌倉時代茨城南部の地頭職であった下河辺政義(後益戸氏)の築城によるもので、子孫代々城主をつとめましたが、六代国行の時代・南北朝争乱で南朝方に組し、府中城の大掾高幹と戦いをくり返し、興国2年(1341)6月に遂に敗れ、その後廃城となりました。
その後、慶長7年(1602)本堂茂親が支配し、正保2年(1645)より明治の廃藩置県まで本堂氏が陣屋を構えたところです。
今も築城当時の土塁を残し、城郭記号の凸型の典型的形体を保っています。

志筑城阯

指定年月日 昭和10年11月26日
所在地 かすみがうら市中志筑1037
管理者 かすみがうら市
制作時期 鎌倉時代