いばらきの文化財

県指定 記念物 史跡

伊佐城阯

いさじょうし

筑西市

伊佐城阯は市街地より北へ約2km、東は勤行川に接し、西は一面の水田が開ける中館の台地に伊佐城を築かれました。
現在の城跡は二の丸跡といわれ、観音寺境内になっています。
城跡のおもかげは勤行川崖に残すのみです。
伊佐城は、藤原魚名の子孫である藤原実宗が、天永2年(1111)常陸介に任命され、伊佐荘中村に居住し、この地に築いたものです。
5代目の朝宗は奥州征討に功をたて奥羽伊達郡を与えられ、次男の宗村と伊達郡に移り伊達氏を名のるようになり、仙台65万石の伊達家の祖となりました。
長男為宗と三男資綱は伊佐に残り、伊佐氏を名のって伊佐荘に拠りましたが、その後、伊達行朝は延元・興国(1340前後)のころ護良親王、北畠親房を助け、大宝、関の両城と呼応して高師冬(こうのもろふゆ)の軍と戦いましたが落城し、以後廃城となりました。

伊佐城阯

指定年月日 昭和10年11月26日
所在地 筑西市中館522
管理者 観音寺
制作時期 平安時代