いばらきの文化財
文化財種別
県指定 有形文化財 絵画
絹本著色 流燈 横山大観筆 1幅
けんぽんちゃくしょく りゅうとう よこやまたいかんひつ
水戸市
本作は、明治時代においていわゆる近代絵画としての「日本画」を確立させ、日本の近代美術の展開を牽引した横山大観(1868~1958)の出世作として知られています。制作の経緯についても、明治36年(1903)1月~7月に菱田春草とともに派遣されたインド旅行の体験を踏まえ、日本美術院の五浦研究所において完成し、明治42年(1909)に第三回文部省展覧会に出品されたものであることが明らかとなっています。
本図は文展出品後文部省の買い上げになりましたが、じつは大観は本図を含めて、「流燈」と題する作品を三点描いています。インドからの帰国直後に描かれた最初の作例は、惜しくも関東大震災で焼失したといわれますが、ガンジス河岸に佇む三人物を左寄せで小さく遠望的に描いています。一方、個人蔵本は本作と同じく近接した視点で大きく三女性を描き、画面内に構成しています。資料から本作の制作後の注文作であることが明らかになっていますが、造形上の比較からもそれは証明されます。すなわち求心的な構図を取り、より静謐(せいひつ)で重厚な雰囲気を湛(たた)える本作に対して、個人蔵本は人物の衣裳の色彩や文様が華やかとなり、姿態も自由に変化がつけられ、鑑賞的な魅力に富んだ展開作であることが窺えるからです。同じ主題のものが三点描かれたこと自体、大観にとってのインド体験とそこから得たものの重大さが偲ばれます。
これまでの近代美術史の語り方では、本図は日本の絵画を呪縛してきた線からの解放を目指し、宗達・光琳らの色面的な絵画手法を取り入れたいわゆる朦朧体の実験から一歩踏み出し、人物画に取り組んだ意欲作として評価されてきました。確かにその通りなのですが、それ以上に女性像の表現として見た場合、江戸時代に流行した浮世絵美人画風の画法によらず、新たな聖女像を描こうとしていることが特筆されます。それは、眉・眼・唇など女性の美貌を形成する細部に墨線を用いず、朦朧体的な滲んだ暈(かさ)を用いていること、とりわけ官能美の象徴とされてきた髪際のほつれ毛の描写を否定し、同じく暈で表わしていることです。そして、新たに採用しているのは、手・腕・足指などに用いられた朱線および朱暈であり、これはむしろ平安時代中期の仏画に顕著に見出される方法なのです。加えて中央に座す人物、左右に立つ人物を配する構成や、それぞれ両手を腹前で組み、合掌し、灯明の皿を左手に載せ、右手をかざすという仕草がすべて阿弥陀三尊像などの仏画の三尊形式に倣ったものであることがわかります。インドという聖なる土地から得た精神的な体験を視覚的にイメージ化するにあたり、大観が目指したのはこのような伝統的な仏画を踏まえた新様式の女性像の創出だったのでしょう。エロスの聖化に理想の美を見出そうとしたところにも、本図の近代美術史上の意義があります。
署名は「大観」(墨書)、印章は「大観」(朱文円印)。附属の箱蓋には旧箱の蓋が埋められ、その表には「流燈」、裏には「大観題匣」の箱書があります。落款と箱書の書体は明らかに異なっていますが、この箱書は関東大震災で焼失したとされてきた本図が、第二次世界大戦後、奇しくも再び世に現れ、昭和23年(1948)8月8日付の毎日新聞で紹介されたように、大観自身が本図に再会した際に書き加えたものです。そうした摩訶不思議な挿話の存在もまた、「流燈」という宗教的な主題と相俟って、本図の神秘性を否応無しに掻き立てるものとなっています。昭和53年(1978)に本県が購入し、現在、茨城県立近代美術館に保管されています。
絹本著色 流燈 横山大観筆 1幅
数 | 1幅 |
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指定年月日 | 平成16年1月8日 |
所在地 | 水戸市千波町東久保666-1 |
管理者 | 茨城県立近代美術館 |
制作時期 | 明治時代 |