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いばらきの文化財

県指定 有形文化財 絵画

紙本著色 釈迦羅漢像 雪村周継筆 3幅

しほんちゃくしょく しゃからかんぞう せっそんしゅうけいひつ さんぷく

石岡市

善慶寺は、佐竹氏の一族長倉義春によって、延元元年(1336)長倉(現常陸大宮市長倉)に創建されましたが、文禄4年(1595)、長倉が柿岡城主に任じられると、義興は柿岡の地に八幡神社と善慶寺を建立しました。その折、長倉家に伝来した雪村周継筆の釈迦羅漢図が、善慶寺に納められたと思われます。雪村周継は、永正元年(1504)、佐竹氏の一族として現在の常陸大宮市に生まれ、禅僧となって会津黒川城主の蘆名盛氏のもとで活躍、ついで天文19年(1550)には小田原の早雲寺の僧大室宗碩らの求めに応じ、その師の肖像「以天宗清像」を描きました。しばらくの間は小田原・鎌倉に逗留し、北条氏政の庇護のもとに中国画を始め画業に励みました。弘治年間(1555~1558)には、鹿島神宮を経て奥州に向かい、会津や三春を中心として旺盛な作画活動を行いました。
雪村は、特に雪舟の画風を慕い、その筆法を消化して自ら宋・元の山水道釈人物の画法を学び、雪舟と異なる動的作風を創始しました。雪村の画風は、花鳥画から山水画に至るまで非常に幅広く、最大の特色は力強い筆の運び、ダイナミックな画風にあります。代表作としては、「風濤図」「松鷹図(まつたかず)」「呂洞賓図(りょどうひんず)」などが挙げられます。雪村は、鎌倉建長寺の祥啓とともに、関東水墨画の中心的な作家と評価されています。没年は不明ですが86歳の款記作品があります。
釈迦羅漢図は、中幅に釈迦と迦葉(かしょう)・阿難、左右幅にそれぞれ五羅漢を描いています。中央に釈迦を描く3幅対ならば、左右には普賢菩薩・文殊菩薩を組み合わせるところですが、雪村は羅漢を描きました。しかも十六羅漢ではなく、十羅漢という珍しい組み合わせです。各幅には隠し落款風に「雪村」の款記を入れています。
個々のモチーフの特色としては、まず左右幅の羅漢の顔貌の表現があげられます。上方を仰ぎ見る大げさな表情、眼を剥く表情は、雪村の人物画の代表作「呂洞賓図」(りょどうひんず)(大和文華館蔵)に通じ、一方で瞑想的な表現は、71歳作の「竹林七賢図屏風」(畠山記念館蔵)に近似しています。このような人物表現を、雪村は中国南宋代の画家の周季常筆「五百羅漢図」(100幅)に学んだ可能性が高いと考えられます。この「五百羅漢図」は、現在は大徳寺やボストン美術館等に所蔵されていますが、雪村の時代には、北条氏の菩提寺の早雲寺に所蔵されていました。雪村は「五百羅漢図」をここで学んだものと思われます。また、岩や山岳、奇矯な形態の崖の表現も、雪村特有なものです。左幅の竜は、「呂洞賓図」の上方の竜の表現にかなり近いです。このようなことを勘案すると、当該作品の制作は、「呂洞賓図」より少し前の時期で、釈迦羅漢図の作画体験を経て「呂洞賓図」等の作品が形成されたと思われます。具体的には、小田原、鎌倉に逗留した以降の年代、すなわち奥州を拠点としていた時代の作と思われます。それは、長倉家では義興の父義当あるいはそれ以前の代に当たります。本県では数少ない、雪村の落款を持つ中世仏画として貴重です。

紙本著色 釈迦羅漢像 雪村周継筆 3幅

3幅
寸法 中幅:縦123.9cm、横56.2cm
左幅:縦123.8cm、横56.2cm
右幅:縦124.0cm、横56.3cm
指定年月日 平成17年11月25日
所在地 石岡市柿岡2136番地
管理者 善慶寺
制作時期 室町時代