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いばらきの文化財

県指定 有形文化財 絵画

絹本著色 聖徳太子絵伝

けんぽんちゃくしょく しょうとくたいしえでん

東海村

聖徳太子は没後すぐに救世観音の化身とされるなど、早くから神格化され、やがて十世紀初めの『聖徳太子伝略』によって釈尊伝になぞられて太子の伝記説話が集大成されました。これに基づいて平安時代中頃から法隆寺で絵伝や童子の彫像などが造られ、太子信仰がひろまっていきました。
鎌倉時代になると太子信仰はますます盛んとなり、太子像が彫像・画像ともに多数造られました。それらの像の類型としては、南無仏太子像(2歳)、日羅の帰国(12歳)、孝養像(16歳)、講讃像(34歳)、馬上太子像(37歳)などをよく目にします。鎌倉時代以降、太子信仰の隆盛を契機に多くの画像が生まれました。当初、上宮寺(那珂市、国指定)の「紙本著色 聖徳太子絵伝 1巻」のような巻物が盛行しましたが、やがて庶民に公開しやすいように、掛幅形式の太子絵伝が登場しました。はじめは、浄土真宗東国教団の布教を目的として製作された妙安寺(坂東市)に伝わる「絹本著色 聖徳太子絵伝 4幅」のような4幅の掛幅形式が主流でした。室町時代には、庶民にわかりやすいよう、要点だけを抜き出し、1幅にまとめる絵伝様式が流行するようになりました。このような様式による室町時代前半の作品は、県内に2件確認できます。
願船寺の聖徳太子絵伝は、長い年月を経ているため、画面に痛みや退色が多いのですが、表具は修理済みです。向かって左下に南無仏太子像(2歳)、右下に日羅の帰国(12歳)、中央下に孝養像(16歳)、上部に講讃像(34歳)が描かれています。右下に画像の各所に短冊型及び色紙型をつくり、聖徳太子を囲む人名や事績が記されていますが、判読が難しい状態です。人名は、同様の類例などから、小野妹子、蘇我馬子、日羅、覚哥(かくか)、阿佐太子(あさたいし)などであることが想像できます。
願船寺の「絹本著色聖徳太子絵伝 1巻」は、室町時代に浄土真宗で流行した1幅形式の聖徳太子略絵伝です。浄土真宗における聖徳太子信仰が民衆に急速に普及する上で、庶民にもわかりやすい1幅の略絵伝が果たした役割は重要です。当作品は、室町時代前半の制作による略絵伝形式の1例であり、画面に痛みや退色が多いものの、県内に残る貴重な類例です。昭和40年、奈良国立博物館の聖徳太子展に出品され、昭和48年刊の至文堂『日本の美術』特集「聖徳太子絵伝」に掲載されました。

絹本著色 聖徳太子絵伝

1幅
寸法 縦90.5cm、横35.0cm
指定年月日 平成18年11月16日
所在地 那珂郡東海村石神外宿1047番地
管理者 願船寺
制作時期 室町時代前半