いばらきの文化財

県指定 有形文化財 考古資料

十五郎穴横穴群出土品

じゅうごろうあなよこあなぐんしゅつどひん

ひたちなか市

本件は、十五郎穴横穴群(7世紀前葉~9世紀前葉、国指定史跡)のうち、未開口であった2基の横穴(館出支群Ⅰ区第32号墓と同35号墓)から出土した資料群である。この横穴が造られたのは7世紀前葉と考えられるが、その後も継続的に埋葬施設として利用され、その度に内部が片付けられており、9世紀前葉、最後に利用された際の人骨と一群の副葬品がそのまま出土している。
なかでも、館出支群Ⅰ区第32号墓から出土した銅製の方頭金具のつく大刀(全長は推定で80㎝)は反りのない直刀で、付属する刀装具は正倉院宝物の黒作大刀に類似しており、全国的に見ても貴重な資料である。また館出支群Ⅰ区第35号墓から出土した須恵器・刀子・大刀・鉄釘等の遺物のうち、金銅製金具付刀子は帯執金具等の金具類がすべてそろった状態で出土しているが、類例は正倉院宝物にみられるだけで、出土品としては他に例がない。さらに、古代の東北経営・蝦夷征討と関連が深いと考えられている蕨手刀が、鞘に収められた状態で出土した。蕨手刀の出土例は全国で約300点以上あり、陸奥国(現・宮城県)が最も多く、出羽(現・山形県、秋田県)・信濃(現・長野県)・上野(現・群馬県)と続く。県内では2例目という希少性もあるが、東北経営・蝦夷征討に関わる常陸国の地理的・物理的役割を解明する上で貴重な資料である。また、鉄釘やそれに付着した木質部等の詳細な検討から玄室内の東側と西側にそれぞれ唐櫃があったと考えられているが、これは日本列島で唯一の事例として重要である。羨道と墓前域に集積されていた須恵器群は、常陸国の官窯とされている木葉下窯(現・水戸市)産とみられ、使用痕が認められない未使用品である。集落跡等からの出土品とは一線を画した優品であり、葬送儀礼に用いられたと考えられる。
第32号墓出土の方頭大刀、第35号墓出土の蕨手刀や刀子、唐櫃の存在を示唆した鉄釘等の出土品は、この地域と中央との関係を考える上でも、十五郎穴横穴群の被葬者の対東北政策(東北経営・蝦夷征討)との関わりを裏付ける上でも、きわめて重要な意味を持つものといえる。
写真提供 ひたちなか市教育委員会

第35号墓・須恵器出土状況

第35号墓玄室内・大刀・刀子出土状

左:第32号墓出土・方頭大刀 右:第35号墓出土・蕨手刀

十五郎穴横穴群出土品

一括
指定年月日 令和6年12月26日
所在地 ひたちなか市中根3499
管理者 ひたちなか市(ひたちなか市埋蔵文化財調査センター)
制作時期 7世紀前葉~9世紀前葉