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いばらきの文化財

県指定 記念物 史跡

結城御朱印堀(附地図2帖・証文1・由来帖1)

ゆうきごしゅいんぼり(つけたり、ちず2ちょう・しょうもん1・ゆらいちょう1)

結城市

結城御朱印堀は戦国時代末期、結城18代秀康の時代に掘られたと考えられます。堀の大きさは、上幅7.5m、底幅0.5m、深さ3.0mで、堀の内側には幅7m、高さ3mほどの土塁があったと思われます。
堀に囲まれた11か町は「地子御免(じしごめん)」という土地税免除がなされ、その面積は16町9反余でした。
その後、元禄5年(1692)、代官の間瀬吉太夫が町役人に対して、御免地の権利を証明する文書の有無を問いただしたところ、町役人たちは、結城16代政勝ならびに徳川家康によって地子御免が認められてきたことを記した「結城町内地子御免之事」を提出しました。
そして、代官がこの特権を幕府に確認すると、幕府より今後も保証するという通書が下付されました。
町人の知恵と努力が、御朱印状にかわる免税証明書を勝ち取ったのです。
なお、御朱印堀の位置を今に伝える『下総州結城絵図』は享保19年(1734)に描かれたものです。

結城御朱印堀(附地図2帖・証文1・由来帖1)

指定年月日 昭和33年3月12日
所在地 結城市結城
管理者 結城市・個人