いばらきの文化財

県指定 記念物 史跡

石神城跡

いしがみじょうあと

東海村

佐竹氏家臣の石神小野崎氏が在城したとされる城館跡。近傍の額田小野崎氏と対立しながらも、戦国領主佐竹氏を支えて、慶長7年(1602)の出羽国への国替えまで石神城を守備した。
本遺構は久慈川河口右岸、東海村北部域の標高19mほどの台地突端部に立地している。遺構の東端下は久慈川旧河道跡(東北より東方にかけて西南方寄りに湾曲)が明瞭に判別できる。
本遺構は全体3区から成り、 面積合計は、40,182.99m2(およそ4町)。東から西にかけてⅠ郭・Ⅱ郭・Ⅲ郭とし、Ⅰ郭は「遠見城(トオミジョウ)」、Ⅱ郭は「御城(ミジヨウ)」とも呼称する。そしてⅡ郭を本丸、Ⅲ郭を二の丸とみる見解がある。各郭を東西に土塁や堀で区分するなど、保存状態が非常に良い。
現在の大字「石神内宿」を取り込んだ「惣構え」の存在を確認できることから、本遺構を惣構えの中核という観点から、戦国期佐竹氏関連城館の重要な史跡として評価する。

石神城跡

指定年月日 平成29年12月25日
所在地 那珂郡東海村大字石神内宿字本城1244他53筆
管理者 東海村