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いばらきの文化財

県指定 有形文化財 歴史資料

鹿の子遺跡出土漆紙文書 一括

かのこいせきしゅつどうるしがみもんじょ いっかつ

石岡市

鹿の子遺跡は、石岡市鹿の子に展開する奈良時代から平安時代初期にかけて営まれた集落遺跡です。遺跡は、石岡市街地の北西約2kmにあり、柏原池(かしわばらいけ)を水源とする山王川右岸の平坦な台地上に立地しています。
遺跡は日本道路公団による常磐自動車道建設にともない同公団の委託を受けて、茨城県教育財団が昭和54年(1979)から同57年(1982)にかけて発掘調査を実施しました。漆紙文書は、工房跡と思われる遺構や竪穴住居跡などを覆う土層の中から出土しました。
鹿の子遺跡は、発掘調査の結果からみると、かなり大規模な集落跡と考えられます。しかし、発掘調査の範囲が、道路建設にかかわる部分に限定されていたことやその周辺の補足的な調査が不十分であるために、鹿の子遺跡の全容を把握するに至っていません。とはいえ、いままでに明らかにされた鹿の子遺跡は約10万m2に及ぶ範囲に、溝によって区画された2つの遺構群の存在が確認されています。それらは、官衙(かんが)ブロック、居住・工房ブロックに区別できます。遺跡全体の年代は奈良時代後半期から平安時代前半期にかけてとみられ、全体が4期に編年されています。
漆紙文書は、そのほとんどが居住・工房ブロックから発見されました。漆紙文書は国庁(こくちょう)などで用いられた帳簿類が反故紙(ほごがみ)として払い下げられ、漆容器の蓋紙として再利用されたものが多いのです。内面に漆が付着した土器や生漆(きうるし)を漉(こ)した布などの出土もあるので、漆を用いる作業が居住・工房ブロック内で行われていたことが推定されます。
漆紙文書には、計帳(けいちょう)、戸籍、調帳(ちょうちょう)、出挙帳(すいこちょう)、検田帳(けんでんちょう)、兵士自備戒具検閲帳(かいぐけんえつちょう)、具注暦(ぐちゅうれき)、人口集計文書などがあります。特に具注暦は延暦9年(790)のもので、出土品としては我が国最古のものです。
また人口集計文書からは、奈良時代末期ごろの常陸国の人口が約22万人と推定できることなど、律令末期の地方行政の実態を知る基礎的な資料となっています。

鹿の子遺跡出土漆紙文書 一括

一括
指定年月日 平成14年1月25日
所在地 石岡市柿岡5680
管理者 石岡市教育委員会