いばらきの文化財

県指定 有形文化財 書跡

往生要集

おうじょうようしゅう

結城市

縦26.2cm、横18.0cmの袋つづり、表紙とも9枚からなる冊子本です。
「教行信証音訓」ほかと合わせて綴られていて、『往生要集』の一節を、延べ書きにした部分は三丁あります。
江戸時代から祖跡巡拝者(そせきじゅんぱいしゃ)の間にはよく知られたもので、三丁裏の五行分が親鸞(1173~1262)の直筆として伝えられています。外題(げだい)と首題に「往生要集伝」とあるので、当初から三丁分が独立していた可能性もあり、端本(はほん)ともいいきれません。
親鸞は、建保2年(1214)、41歳のときに妻の一族三善氏の縁故を頼って常陸を訪れ、布教活動を行いましたが、武士や農民に帰依する者が多く、常陸を中心に下野・下総方面に専修念仏(せんじゅねんぶつ)の教えが広まり、浄土真宗の東国教団の基礎ができました。
また、結城氏初代朝光(ともみつ)も親鸞に帰依し、親鸞の高弟真仏(しんぶつ)を招き、称名寺を建立したといわれています。

往生要集

1冊
寸法 縦26.2cm、横18.0cm
指定年月日 昭和33年3月12日
所在地 結城市結城152
管理者 称名寺
制作時期 鎌倉時代