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いばらきの文化財

県指定 有形文化財 彫刻

木造 十一面観音立像 1躯

もくぞう じゅういちめんかんのんりつぞう

八千代町

垂髻(すいけい)上の仏面のほか髻束と地髪(じはつ)上に変化面九面を廻らし、左手に花瓶を執り、右手に錫杖(しゃくじょう)を添えて立つ姿に造る長谷寺式(はせでらしき)の像です。
近年の修理時に、像内に貞和6年(1350)の年紀と大仏師院祥の墨書(ぼくしょ)が発見され、制作の時と作者を知ることが出来ます。天冠台、髪際(はっさい)を中央で波形にさげ、面長の面相に眼鼻立ちを明快に刻み、ややしぼった胴に対し、腰以下を太造りに表わし、そこに裙(すそ)の折返しを二段に設けて下方に長く垂らして刻む大ぶりの衣文(えもん)など、その表現は全体に硬く、作風は正に南北朝期の様式を示しています。院祥は、結城氏の第8代当主直光の発願による結城市大輪寺(だいりんじ)観音菩薩立像を延文元年(1356)に制作しており、両像を比べると、大輪寺像より6年遡る制作のためなのか、本像の姿態や衣文(えもん)の表現に幾分荒けずりな強さが感じられます。現実味に溢れる面貌や太造りで、量感のある体躯(たいく)、あるいは、大ぶりの衣文表現などは全く共通し、それはまた同時代の院派仏師の特色ともいえます。
茨城に遺る同一仏師の制作になる作品としては、現在知ることのできる最も古い遺品で、当地の中世武士結城氏と院派との係りがわかり、歴史上も大切な、注目される作例です。

木造 十一面観音立像 1躯

1躯
指定年月日 平成20年11月17日
所在地 結城郡八千代町大字八町149番地
管理者 大光山結城院新長谷寺
制作時期 南北朝時代(貞和5年=1350)