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いばらきの文化財

県指定 有形文化財 工芸品

鰐口 如意寺、嘉暦三年在銘

わにぐち にょいじ、かりゃくさんねんざいめい

笠間市

本品は鋳銅製で、如意輪寺(にょいりんじ・旧「如意寺」)に伝来し、現在茨城県立歴史館にある鰐口と総径、総厚、撞座径がほぼ同大、銘記も同文、筆跡もたいへん近いものです。しかし、銅厚が薄く均一に仕上げられている鋳技(ちゅうぎ)や、両面ともに甲盛りが豊かなところ、子持三条(こもちさんじょう)の圏線(けんせん)などは時代の下がるところです。
筆跡は写しで、さらに歴史館にある鰐口の表面右側にみられる疵(きず)も写しているところなど、本品は、原品を江戸時代に写した模古作(もこさく)と考えられます。
寸法もほぼ同大につくり、素文(そもん)の撞座(つきざ)も写し、銘記、疵まで写しながら、丸い肩、豊かな甲盛り、子持三条の圏線など総体の形式は当世風に仕上げるところが、いわゆる偽物とは異なるところです。絵画や書跡・典籍においては古代から行われた転写・副本が、松平定信の『集古十種』の編纂や国学者伴信友の考証学など、近世の時流に沿って金石文(きんせきぶん)にもおよんだことを示す作品といえるでしょう。江戸時代における文化財保護を物語る資料としてもその歴史的意義は大きいものです。
なお、如意輪寺は三嶋山明星院(みしまさんみょうじょういん)と号し、奈良時代の創建と伝え、鎌倉時代に常陸の守護八田知家の4男で宍戸庄を領し、宍戸を家名とした家政が再興した天台宗の古刹(こさつ)です。嘉暦3年(1328)は、宍戸氏5代知時の時代で、当時如意寺が大きく発展したのでしょう。さらに、江戸時代に如意輪観音像を本尊とする観音堂が建立されるにおよんで寺名が如意輪寺に改められ、当初の由緒を残す鰐口の写しがつくられた可能性が推定されます。

鰐口 如意寺、嘉暦三年在銘

1口
寸法 総径33.8cm、面径27.4cm、総厚12.3cm、肩厚4.7cm、撞座径(つきざけい)6.5cm
指定年月日 平成16年1月8日
所在地 笠間市上市原942番地
管理者 如意輪寺
制作時期 江戸時代