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いばらきの文化財

国指定 有形文化財 建造物

重要文化財

旧弘道館(正庁、至善堂、正門附塀)

きゅうこうどうかん(せいちょう、しぜんどう、せいもんつけたりへい)

水戸市

弘道館は水戸藩第9代藩主徳川斉昭(烈公)が、改革の眼目として創立した藩校です。
天保5年(1833)ごろから会沢正志斎・藤田東湖等と謀り、諸藩に類の無い純日本的総合大学として立案し、先ず弘道館記を作って趣旨を明らかにし、場所も三の丸に正庁をはじめ、文館・武館・医学館・寄宿寮等の外、調練場・矢場・砲術場等を設けました。
工事は、天保12年(1841)にほぼ完成し、総教以下の役職を任命して仮開館しましたが、本館開式は安政4年(1857)に挙げ、明治5年(1872)の閉館まで教育活動を行いました。但し明治戊辰の兵火と昭和20年(1945)の戦災で建物の焼失が多く、現在は四脚の正門と土塀の中に正庁・至善堂・学生警鐘・要石碑が残り、神社・孔子廟・八卦堂等は大部分が再建されています。
構内には多くの梅が植えられ、種梅記の碑もあります。弘道館が当時の社会情勢にあった模範的学校として藩内外に与えた影響は極めて大きいものがあります。
なお、弘道館は、国の特別史跡として昭和27年(1952)3月29日に指定を受け、幾多の戦火をくぐりぬけた正庁・至善堂・正門附塀の建造物は、国指定重要文化財として、昭和39年(1964)5月26日に指定を受けました。

旧弘道館(正庁、至善堂、正門附塀)

3棟
指定年月日 昭和39年5月26日
所在地 水戸市三の丸1-6
管理者 茨城県
制作時期 江戸時代