いばらきの文化財
文化財種別
国指定 記念物 史跡
重要文化財
小幡北山埴輪製作遺跡
おばたきたやまはにわせいさくいせき
茨城町
遺跡は、涸沼川と寛政川にはさまれた標高22.5~27mの台地、国道6号線の南東にあります。
この場所は、赤坂・奥谷付近から南西に入った支谷が、やがて南に分岐し、さらに水路状に細く蛇行しながら進入しています。
窯跡のある谷の最奥部は三叉状に分かれて曲折し、幅のせまい谷に向かって15~30度の傾斜地を形成しています。
古くから俗に「カベット山」(壁土山)と称され、良質の粘土のとれる場所として知られていました。
昭和28年(1953)開墾作業中に人物埴輪、円筒埴輪、馬の埴輪などが出土し、埴輪製作遺跡として知られるようになりました。
しかし、遺跡の調査は行われず、その後遺跡の一部が耕地化されてしまいました。
最初の発見から34年後の昭和62年(1987)5月、西方250m地点から、偶然、埴輪製作の窯跡が発見され、第1次調査は昭和62年(1987)6月5日~9月4日、第2次調査は昭和62年(1987)10月20日~昭和63年(1988)1月20日、第3次調査は昭和63年(1988)6月1日~8月6日まで行われました。
出土遺物は、円筒埴輪、朝顔形円筒埴輪、人物埴輪、馬の埴輪、武人埴輪、男子埴輪頭部、笛を持つ人物埴輪の一部、土師器(はじき)坏(つき)、高坏、鉢、甑(こしき)、壺、甕(かめ)などで、6世紀中頃以降7世紀前半の遺跡と考えられています。
小幡北山埴輪製作遺跡
指定年月日 | 平成4年1月21日 |
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所在地 | 東茨城郡茨城町小幡2735-45ほか |
管理者 | 茨城町 |
制作時期 | 6世紀~7世紀 |