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いばらきの文化財

国指定 記念物 史跡

重要文化財

結城廃寺跡附結城八幡瓦窯跡

ゆうきはいじあとつけたりゆうきはちまんかわらがまあと

筑西市

結城廃寺跡は、結城駅から南へ約4.5km、結城市のほぼ中心からやや東よりの大字上山川・矢畑地内にあります。古代下総国北端にあたる鬼怒川西岸の台地上に立地しています。
寺は、奈良時代はじめの西暦700年代前半に建立され、900年代に一度火災で焼失しましたが、鎌倉時代に再建され、室町時代中頃までの700年間にわたり存続したと考えられています。古代から中世にかけての大寺院です。
発掘調査が、昭和63~平成7年(1988~1989)まで8次にわたって行われました。中心伽藍(がらん)の建物跡として、金堂跡(こんどうあと)、塔跡(とうあと)、中門跡(ちゅうもんあと)、講堂跡(こうどうあと)、回廊跡(かいろうあと)、僧坊跡(そうぼうあと)及び寺域を区画する溝が確認されました。その結果、西に金堂、東に塔が並ぶ、典型的な「法起寺(ほっきじ)」式伽藍配置(がらんはいち)であったこと、寺域が、東西180m、南北250mの範囲に及ぶことが判明しました。
出土遺物としては、粘土で型作りされた小型の仏像である「せん仏」、蓮華文(れんげもん)が描かれた「舎利孔石蓋(しゃりこういしぶた)」、たる木の先端に使用された「たる先瓦」など、東日本では非常に珍しいものが発見されています。
また、「法成寺(ほうじょうじ)」と刻まれた瓦片が出土したことにより、当時の寺院名が確認されるとともに、『将門記(しょうもんき)』に記された「法城寺」にあたる寺であると考えられています。 
結城廃寺跡は、出土遺物などからもわかるように、古代東国にあって、極めて畿内的な特徴をもっており、仏教文化の東国への伝播と発展を考えるうえで重要な遺跡です。
結城八幡瓦窯跡は、結城廃寺の創建時の瓦を供給した窯跡で、現在3基の窯跡が確認されています。ここで生産された瓦類は、近接する下野薬師寺跡(しもつけやくしじあと)(現栃木県下野市)との関連があり、古代の瓦生産の実態を知るうえで重要な遺跡であり、結城廃寺跡とともに指定されました。

結城廃寺跡附結城八幡瓦窯跡

指定年月日 平成14年9月20日
所在地 結城市大字上山川 字古屋敷乙31番ほか