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いばらきの文化財

国指定 記念物 史跡

重要文化財

長者山官衙遺跡及び常陸国海道跡

ちょうじゃやまかんがいせき および ひたちのくにかいどうあと

日立市

長者山官衙遺跡は、日立市北部の標高20〜25mの台地東端に立地する奈良時代から平安時代にかけての官衙遺跡であり、『常陸国風土記』に見える「藻嶋駅家」に比定される可能性が高い遺跡です。藻嶋駅家は『常陸国風土記』多珂郡の項に、「郡の南三十里に藻嶋駅家あり、東南の浜に碁石あり、色は珠玉のごとし」とあります。多珂郡家の位置は未確定ですが、「東南の浜」は長者山官衙遺跡の南南東、約2kmの地点にある碁石浦に比定されています。
日立市が平成17年度から平成27年度にかけて2期にわたって実施した調査により、古代官道の痕跡とみられる道路遺構や、東西134〜165m、南北110〜116mの範囲を不整台形状に区画する溝が確認され、その内部から、8世紀代から10世紀代にかけての掘立柱建物と礎石建物などの遺構が確認されました。遺構は大きく3期に区分でき、Ⅰ期は7世紀後半から8世紀中葉に相当し、遺跡の東側に7世紀後半代の竪穴建物7棟が、西側には8世紀中葉の南北方向の溝などがあります。Ⅱ期は、8世紀中葉から9世紀中葉に相当し、9棟の掘立柱建物からなります。Ⅲ期は9世紀中葉から10世紀代に相当し、倉庫と考えられる8棟の礎石建物からなります。掘立柱建物柱穴の埋土や礎石建物の堀込地業上面から、炭化穀類が出土しています。これらは稲穂が束になった状態で貯蔵されていたものが、火災により炭化したと考えられます。
長者山官衙遺跡は、古代官道に面して営まれた8世紀中葉から10世紀にかけての官衙遺跡であり、弘仁3年の駅家の廃止に前後して、藻嶋駅家の施設から正倉別院へと性格を変えている可能性が考えられます。このことは、常陸国北部における駅路とその周辺施設の変遷を示すだけでなく、古代国家の交通網の編成と再編を含めた対東北政策を知る上でも重要です。

礎石建物群

道路遺構

長者山官衙遺跡及び常陸国海道跡

指定年月日 平成30年10月15日
所在地 日立市十王町伊師字愛宕脇3586外10筆
管理者 日立市
制作時期 奈良・平安時代