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いばらきの文化財

国指定 有形文化財 考古資料

重要文化財

茨城県武者塚古墳出土品

いばらきけんむしゃづかこふんしゅつどひん

土浦市

武者塚古墳は、土浦市上坂田(かみさかた)、桜川左岸の標高28~30mほどの台地上に位置しています。同地区内には17基の古墳の所在が確認されており、坂田古墳群と呼ばれています。武者塚古墳は、その中の1基です。他の古墳と同様に、墳丘は畑地耕作などによって、すでに大半が削平(さくへい)されており、古墳の墳丘としての原形を保つものはほとんどありません。昭和58年3月から4月にかけて、村史編纂事業の一環として発掘調査が実施され、直径23mほどの円墳であることが確認されました。墳丘をめぐって周溝(しゅうこう)の存在が確認されましたが、周溝の立ち上がりの傾斜や周溝内での土層の堆積状態からみて、もともと墳丘盛土が低平なものであったと推定されています。
埋葬主体部は、墳丘中心よりやや南に偏した所に、地山(じやま)を掘り込んでもうけられていました。「地下式両袖型箱形横穴式石室」と呼ぶべき構造をもっています。石室は、玄室(げんしつ)と前室(ぜんしつ)とからなり、主軸をほぼ南北にとり、南側に開口部である前室をもっています。玄室の平面形は長方形を呈し、主軸長204cm、幅は154~164cmと玄室奥が若干挟まっています。壁体は雲母片岩板石によって構築され、奥壁1枚、両側壁各1枚、天井石2枚、床は不整形な板石(いたいし)と破砕礫(はさいれき)とで敷き詰めています。玄室と前室とが接する部分が両袖型を呈し、板石を立てて両袖とし、高さ55cmの仕切り石があって、玄室と前室との床面を作り出しています。前室の平面形は、長さ107cm、幅100cmで、ほぼ正方形を呈し、玄室床面より60cmほど高くなっています。東側壁2枚、西側壁1枚と南壁1枚とで構成され、本来開口すべき部分を封鎖しています。前室入口となる部分は2枚の天井石によってつくられています。石室を近くに構築することで、石室開口部が不要、あるいは機能しなくなり、前室天井部を開いて、追葬時の埋葬を行ったものと推定されます。
ただし、調査時に、追葬による開口痕跡を確認し得なかったことから、かなり慎重な埋葬行為を想定しなければならないでしょう。
雲母片岩板石使用の箱形横穴式石室は、筑波山南麓地域には比較的多く分布するという地域的特徴を示しています。

[主要な指定資料]
2号人骨の角髪(みづら)、口髭(くちひげ)、顎髭(あごひげ)一括
3号人骨の頸飾玉類、銀製帯状金具
5号人骨の頸飾玉類、鉄柄付青銅製杓(てつえつきせいどうせいしゃく)、三累環頭大刀(さんるいかんとうのたち)、銀装圭頭大刀(ぎんそうけいとうのたち)

[武者塚古墳・副葬品の総合所見]
低墳丘で内部主体を地表面下に構築した、極めて特徴的な古墳で、主体部構造も箱形石棺状の玄室に小規模な前室が付設されるという特殊な構造です。遺骸は玄室に、副葬品は前室にという方法がとられたようで、玄室には6体分の遺骸が確認されています。
現存する玉類以外のほとんどの副葬品は、前室より発見されていて、玄室のどの遺骸に付属するかは不明です。いずれにしても前室にあった副葬品は、最終埋葬に伴ったものと判断できますから、装飾大刀やその付属金具である銀製帯状金具と青銅製鉄柄付杓などの形式学的研究成果からみて、7世紀後半の年代が与えられるでしょう。
終末期古墳を研究するうえで、全国レベルで見ても質的に極めて優れた内容をもちます。古墳出土一括遺物として、特に終末期古墳を研究するうえで貴重な資料です。

茨城県武者塚古墳出土品

1括
指定年月日 平成26年8月21日
所在地 土浦市上高津1843
管理者 上高津貝塚ふるさと歴史の広場
制作時期 7世紀後半